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男装のスター「ターキー」の愛称で親しまれ、プロデューサーとして故石原裕次郎らを発掘した元女優水の江滝子(みずのえたきこ)さんが16日午後6時45分、老衰のため神奈川県内で死去した。94歳だった。SKDから映画、テレビで活躍し、85年においの故三浦和義氏のロス疑惑事件で騒がれたこともあった。93年に故森繁久弥さんを葬儀委員長に「生前葬」を行った後は表舞台から遠ざかった。森繁さんに続き、昭和の芸能界に大きな足跡を残した人がまた1人逝った。
 最期は眠るような大往生だった。養女によると、水の江さんは3月に肺炎で入院。4月に退院したが、その後も入退院を繰り返した。16日も昼前まで容体は安定していたが、夕方に急変し、養女ら家族にみとられて息を引き取った。密葬を済ませ、故人の遺志でお別れの会は行わない。
 半生は昭和の芸能史そのものだった。28年、13歳で東京松竹楽劇部(後の松竹少女歌劇団=SKD)第1期生で入団。30年、髪をショートカットにしたタキシード姿で登場し、レビュー史上初の「男装の麗人」として人気を得て「ターキー」の愛称で親しまれた。33年に歌劇団で争議が起きた時は「闘争委員長」として会社側と闘った。当時を「弱い者いじめに対する怒りがあったんでしょうね。若さで新しい経験を楽しみました」と振り返っている。戦時中は松竹女子挺身(ていしん)隊として国内外の兵士を慰問した。
 戦後は劇団たんぽぽ主宰を経て、55年に日活で女性初のプロデューサーとなった。56年に映画「太陽の季節」を製作した際、原作者石原慎太郎氏の弟の故石原裕次郎にスター性を見いだして主人公の友人役で起用した。「自分がこれと思った人は何と言っても育てたかった」という水の江さんは、裕次郎を「狂った果実」の主演に抜てきし、赤木圭一郎、浅丘ルリ子、故岡田真澄、和泉雅子、津川雅彦らを発掘してスターに育て上げた。70年にプロデューサーを辞めるまでの15年間で76本の映画を製作、日活の黄金時代を築いた。
 飾らない人柄でテレビでも活躍し、NHKでテレビ放送が始まった53年と57年にNHK紅白歌合戦の紅組司会を務めた。53年から15年間続いた人気番組「ジェスチャー」では女性チームのキャプテンとなり、男性チームの柳家金語楼とともに人気者になった。70、80年代にはテレビ朝日系「独占!女の60分」の司会、フジテレビ系「オールスター家族対抗歌合戦」の審査員としても知られた。
 85年、実兄の息子である故三浦和義氏のロス疑惑事件で、三浦氏が水の江さんの隠し子と一部で報道され、否定する騒動もあった。93年には「会いたい人に会っておきたい」と森繁久弥さんを葬儀委員長に「生前葬」を行い、芸能関係者約500人が集まった。翌94年に映画「女ざかり」出演を最後に、65年を超える芸能生活から引退。70年に移り住んだ神奈川県中井町の丘の上にある自宅で愛犬とともに悠々自適の隠居生活を送り、「もう思い残すことはない」と話していたという。
 
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